西本願寺

西本願寺

浄土真宗本願寺派は、戦国時代には大阪に一向宗の国ができあがるほど権威と権力を持っていました。
織田信長は明智光秀に本願寺への攻撃を命じましたが、「敵は本願寺にあらず、本能寺にあり」と謀反を起こした光秀によって信長は討たれました(本能寺の変)。
その結果、本願寺は滅亡から逃れることができ、顕如上人父子の確執もあって東と西に分かれたまま、今日に至っています。
本尊の阿弥陀如来が安置されている阿弥陀堂(本堂)と、親鸞上人の木像がある御影堂、書院、書院の北側にある北能舞台はすべて国宝建造物です。
また、三層からなる楼閣建築の飛雲閣は、金閣や銀閣と共に「京の三名閣」の一つに数えられています。
1994年12月には「古都京都の文化財」の一つとしてユネスコの世界文化遺産に登録されています。

京都市下京区堀川通花屋町下ル
tel 075(371)5181

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