北の庄城址


名将 柴田勝家がお市の方と最期を遂げた城

柴田勝家は織田信長から49万石を与えられ、数年の歳月をかけて築かれたと言われています。天正11年(1583)、豊臣秀吉の軍に攻められた勝家は、自ら火を放ち、妻のお市の方や一族とともに壮絶な最後を遂げ、同時に北の庄城もわずか8年という短い命をとじた。
現在、柴田神社には柴田勝家の像をはじめ、北の庄城の唯一の遺物や鬼瓦、勝家の時代に造られた足羽川・九十九橋に使われたという石柱、九頭竜川に掛けられた舟橋をつないだ鉄鎖が大切に保存されています。
ふくいドットコムから引用

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