本能寺跡


本能寺跡

明智光秀が主君・織田信長を討った本能寺の変。信長が上洛の際に宿所としていた本能寺は、本能寺の変当時は現在の寺町御池ではなく、堀川四条近くの油小路通蛸薬師にありました。
平成15年に京都市埋蔵文化財研究所が本能小学校跡地(現在の本能特別養護老人ホームなどが建つ一角)で、戦国時代末期の惣構(そうがまえ)跡を発掘しました。
「洛中洛外図」では惣構の北側に本能寺が描かれていて、その北側のへりで能と記された軒丸瓦などが発掘されたことにより、本能寺の場所が確定しました。
本能寺は、天正15年(1587年)に豊臣秀吉の京の都市改革で、現在の寺町御池に移転しました。

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