浜坂

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南禅寺(桜)

琵琶湖疏水の水路橋が境内に「南禅寺」

南禅寺は臨済宗南禅寺派の大本山です。
枯山水の庭園も見事ですが、桃山時代の小書院を移した小方丈(国宝)は、特に趣ある佇まいで心が落ち着きます。
大方丈と小方丈は、合わせて130面を越える狩野派の襖絵で飾られています。中でも小方丈の虎の間の襖に描かれた狩野探霊の「水呑みの虎」は傑作として有名です。
南禅寺の境内には琵琶湖疏水の水路橋(水路閣)があります。
疏水は琵琶湖から水を引くための水路として1890年につくられました。
今も京都の上水道の水源として利用されていて現役です。
赤煉瓦のアーチを思わせる水道橋は、南禅寺の名所のひとつとなっています。
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妙心寺 退蔵院

妙心寺 退蔵院の紅しだれ桜

京都の西に位置する妙心寺の山内には40余りの塔頭がありますが、退蔵院はそのうちでも屈指の古刹として知られています。
境内には、国宝「瓢鮎図(ひょうねんず)」(模本)や史跡名勝・枯山水庭園「元信の庭」、そして四季折々の景色が美しい池泉回遊式庭園「余香苑(よこうえん)」などがあります。
余香苑完成当時に植えられた樹齢50年ほどの紅しだれ桜は、平安神宮にある紅しだれ桜の孫桜で、2013年春の「そうだ、京都いこう」キャンペーンで注目されました。
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福知山光秀ミュージアム

福知山光秀ミュージアム

福知山光秀ミュージアムは、大河ドラマ『麒麟がくる』が放映される1年間、福知山城公園内の佐藤太清記念美術館で開催される大河ドラマ企画展です。
最新の調査研究に基づいた新たな視点で、福知山ならではの明智光秀像にスポットを当てます。
大河ドラマ『麒麟がくる』で使用された衣装・小道具の展示や、登場人物パネル展示、ドラマのストーリー紹介など、大河ドラマの迫力を再現。
光秀の出生から若き日を過ごした美濃時代にはじまり、越前での浪人時代、歴史的資料に登場する織田信長と足利義昭の両属時代、そして信長時代から本能寺の変までを、時代を追って展示しています。
福知山光秀ミュージアムのホームページはこちら
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イノダコーヒー

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本能寺

本能寺

天正10年(1582年)京の都に滞在していた織田信長に家臣の明智光秀が謀反を起こした「本能寺の変」の舞台となったお寺です。
本能寺はその頃、今よりもっと大きく広く、またお寺の周りを高い塀と深い堀で囲った城のようなつくりになっていたので、信長は何度も宿泊していました。
本能寺の日承上人は天皇の親戚で、信長は本能寺に滞在し日承上人に仏教の教えをうけるとともに天皇家とのつながりを築こうと考えていたようです。
また、本能寺は種子島や大阪の堺で布教活動を行っていたので、種子島に多くの信者がいました。
鉄砲が伝わっていた種子島から、信長は本能寺を通じて鉄砲や火薬を入手していたと見られています。
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丹後あおまつ号

京都丹後鉄道の観光列車「丹後あおまつ号」

「京都丹後鉄道」は、京都府北部の丹波、丹後地域と兵庫県北東部の但馬地域を走る鉄道です。
京都丹後鉄道は、水戸岡鋭治氏がリニューアルデザインを担当した観光列車を3種類運行しています。
「丹後くろまつ号」「丹後あかまつ号」「丹後あおまつ号」です。
「丹後あおまつ号」は、事前予約が不要。普通運賃で気軽に乗車できる観光列車です。
天橋立に代表される日本海の白砂青松を象徴する「松」をテーマにしています。
随所に水戸岡氏らしい木のぬくもりを生かしたやわらかなデザインが施されていて、ゆったりと外の景色を楽しめるよう、ソファ席、カウンター席など、さまざまなタイプの座席が用意されています。
アテンダントによる沿線案内や車内販売のサービスもあります。
丹後あおまつ号の詳しい情報はこちら

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三陸鉄道リアス線

三陸鉄道リアス線

5年前の東北大震災にて被災し、全線運転不能となった三陸鉄道。
復旧工事を進め、2014年4月に三陸鉄道全線が復旧しました。
三陸は美しい海岸と地形が織りなす絶景の地であり、三陸を象徴する海岸地形が生み出す多彩な景観などが車窓から楽しめます。

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福知山城

明智光秀が切り拓いたまち「福知山」

戦国時代の天正7年(1579)頃、明智光秀は豪族に支配されていた丹波国を攻略し、福知山城を築城しました。
光秀は城と同時に城下町も建設。税を軽減したり、水害からまちを守るために堤防を築くなど、福知山城下町の発展に尽力しました。
福知山城は光秀亡きあと、慶長5年(1600)頃に完成しましたが、明治時代に廃城令で取り壊されました。
昭和61年(1986)に市民の瓦1枚運動によって、三層四階の天守閣が再建されました。
天守閣は築城当時の天守閣の特徴がよくあらわれたものとなっています。
石垣は、野面積み、乱石積み、穴太積みなどと呼ばれる自然石をそのまま用いたもので、当時のまま残されています。

明智光秀が福知山の領主であったのはわずか3年ほどですが、まちの創始者であり、数々の善政を敷いた恩人として慕われ、江戸時代には数々の伝承が広がっていきました。
御霊神社(写真下)には、明智光秀が祀られています。
明智光秀と福知山の詳しい情報はこちら
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笹川流れ

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