この観光プランのおすすめポイント

彦根城築城は、将軍徳川家康公の命により佐和山城を一掃するため、慶長9年(1604)より着工されました。
当初は湖畔の磯山を予定していたといわれていますが、直継の代になって現在の彦根山に決定し、20年の歳月をかけて築城されました。
天守をはじめ、重要文化財の各櫓、下屋敷の庭園である玄宮園、内堀・中堀などが当時の姿を留めています。全国的に見てもきわめて保存状態のよい城跡で、年間を通じて多くの人々が訪れます。
天守は3階3重の屋根で構成されています。屋根は「切妻破風(きりづまはふ)」「入母屋破風(いりおもやはふ)」「唐破風(からはふ)」を多様に配しており、2階と3階には「花頭窓(かとうまど)」、3階には高欄付きの「廻縁(まわりえん)」を巡らせるなど外観に重きを置き、変化に富んだ美しい姿を見せています。
大津城から移築されたといわれ、政治的象徴としての外観の美しさだけでなく、城本来の機能である軍事面でも優れています。昭和27年(1952年)に国宝に指定されました。
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長良川の鵜飼は岐阜の夏の風物詩として受け継がれ、1300年以上の歴史があります。
伝統装束に身を包んだ鵜匠が「ほうほう」と声をかけながら鵜を自在にあやつって鮎を狩る様は、見る人を幽玄の世界へ誘います。
闇に包まれた川に小舟を出します。鮎が篝火の明るさに驚いて、キラリと光をはねかえしながら逃げるところを、鵜がくちばしで捕えます。鵜の首にまかれた紐によって、ある大きさ以上の魚は飲み込めません。
鵜匠は10~12羽の鵜を1人で巧みに操ります。
鵜飼は川岸から自由に見学できますが、せっかくなら鵜飼観覧船に乗船してより近くで鵜匠の技や魚を捕らえる鵜を見たいものです。
鵜舟が川幅いっぱいに横一列になり、一斉に鮎を浅瀬に追い込む鵜飼のクライマックス「総がらみ」は迫力があります。
鵜飼観覧船は、電話やインターネットで申し込みます。
tel 058(262)0104 岐阜市鵜飼観覧船事務所
長良川畔のホテル・旅館では、鵜飼観覧船の乗船と、宿泊・お食事などをセットにした“鵜飼パック”を用意しています。
詳しい情報はこちら
開催期間 5月11日~10月15日
ただし、鵜飼休み及び増水等で鵜飼ができない日は中止となります。
鵜飼時間 19:45頃(時季やイベントにより変動があります)
出船時間 18:15、18:45、19:15
料金 大人3,500円、小人1,800円
食事等 各料金は乗船のみの料金です。宿泊・食事・飲み物は各自で手配・準備ください。

金華山(きんかざん)山頂に位置し、岩山の上にそびえる岐阜城は、難攻不落の城としても知られ『美濃を制すものは天下を制す』と言われるほどでした。
戦国時代には小説「国盗り物語」の主人公である斎藤道三の居城でもありました。
その後、織田信長がこの城を攻略、城主となり、地名を「岐阜」に、「稲葉山城」を「岐阜城」に改めたといわれています。
信長は「天下布武」の朱印を用いて天下統一の志をかかげ、城下町の復興に力を注ぎました。
楽市楽座の保護など当時としては斬新な政策により岐阜城下は大変な賑わいでした。
岐阜城は、2019年12月にリニューアル。城内の展示は戦国武将織田信長にちなんだ内容に統一し、分かりやすさを重視するなど一新されました。
展望台からは眼下に清流長良川、東には恵那山や木曽御岳山、北には乗鞍・日本アルプスが連なり、西には伊吹山・養老山脈、南には伊勢湾などが連なる壮大な眺望を楽しむことができます。

国宝犬山城は、室町時代の天文6年(1537)に建てられ、天守は現存する日本最古の様式です。
木曽川のほとりの小高い山の上に建てられた天守最上階からの眺めはまさに絶景。
周辺には犬山城下町の古い町並みや、多くの観光施設があります。
信長・秀吉・家康が奪い合い、歴史の荒波を生き残った、国宝犬山城をご覧ください。
※犬山城のホームページより引用