この観光プランのおすすめポイント
天草五橋は、九州本土と天草をつなぐ五つの橋で、昭和41年9月に開通しました。天草パールラインとも呼ばれており、三角から大矢野島・永浦島・大池島・前島を経て天草上島までつながっています。
玄関口となる1号橋から変わりゆく景色を楽しみながら、5号橋まで約30分間のドライブコースには、海と島々の美しいコントラストと爽快な光景が目の前に広がります。
シークルーズ船乗り場前にあるリゾート観光施設「リゾラテラス天草 L’isola Terrace Amakusa。
レストラン、カフェ、お土産、バー、ベーカリーなど充実した内容で、これまでの天草にないお洒落なリゾート感あふれる観光施設です。
オーシャンビューのレストラン「プレート カフェ リゾラ」では、天草・熊本の厳選素材を使った贅沢ランチが楽しめます。
天草の恵みがギュッと詰まった島のランチコースや専用窯で焼き上げる本格ピッツァ、魚介のペスカトーレなどがおすすめ。
クルージングを楽しんだ後は海を眺めながらカフェでティータイム。夕日を眺めながらバーでカクテルを一杯。そんな過ごし方もできます。
リゾラテラス天草のホームページはこちら
16世紀末、宣教師の養成を目的に大神学校「天草コレジヨ」(天草学林)が天草に作られました。
各地のセミナリオ(小神学校)やノビシャアド(修練校)で学んだ者の中から選抜されて天草にやって来た青年達は、ここでラテン語や神学、最新のヨーロッパの情報・文化を学びました。
付設の印刷所では、「天草本」と呼ばれる金属活字を使うグーテンベルク式印刷機による活版印刷物が多数印刷されました。
天草コレジヨ館には、天正遺欧少年使節が持ち帰ったグーテンベルク式印刷機や西洋古楽器、南蛮衣装などを忠実に復元したものが展示されています。
天草コレジヨ館の詳しい情報はこちら(熊本県公式観光サイト)
天草の﨑津集落は、江戸時代の禁教期、仏教・神道・キリスト教が共存するかたちで漁村特有の信仰を育んだ集落です。
戦国時代にイエズス会修道士アルメイダによって布教が開始され、ほとんどの村人がキリスト教徒となりました。
その後、江戸幕府は禁教令を発布。信徒への迫害が強まるなかでも、﨑津集落には多くの潜伏キリシタンが信仰を続けました。
禁教令により宣教師は追放され、1637年には厳しい弾圧、幕府の苛政や飢饉を契機として島原・天草一揆が勃発しています。
1873年キリスト教解禁後にカトリックに復帰した潜伏キリシタンは、最初に﨑津諏訪神社の下に木造教会を建てました。
その後、禁教期に絵踏みが行われた﨑津吉田庄屋役宅跡に、現在の﨑津教会が建てられました。
これはキリシタン弾圧を象徴する場所に教会を建てたいというハルブ神父の強い願いによるものです。
崎津教会は潜伏キリシタンの復活の象徴として崎津集落のシンボルとなっています。
﨑津教会の拝観には事前予約が必要です。詳しい情報はこちら
※﨑津教会は信仰の場です。堂内・外では静かにしましょう。また、宗教行事を行っている際には、見学はご遠慮ください。
大江教会はキリスト教解禁後、天草で最も早く造られた教会で、現在の建物は昭和8年(1933年)天草への伝道に生涯を捧げたフランス人宣教師ガルニエ神父が地元信者と協力して建立したものです。
敷地内には、パーテルさんとして親しまれたガルニエ神父の像やルルドの聖母マリア像があり、今でも天草キリシタンのシンボル的な存在となっています。
天草ロザリオ館は、隠れキリシタンの遺物を集めた資料館です。
隠れキリシタンの密かな礼拝のためにつくられた「かくれ部屋」が再現されています。
映像ホールでは天草のキリシタンの歴史、自然・景勝地、天草の人々の生活の様子などを上映しています。
大江教会の詳しい情報はこちら 天草ロザリオ館の詳しい情報はこちら
島原半島の中心に位置する雲仙温泉は、明治の頃に外国人の避暑地として開かれた国際的な保養地です。
お湯は硫黄を含んだ強い酸性泉で、温泉の最高温度は98℃。
主成分は鉄イオン、アルミニウムイオン、硫酸イオン。リュウマチ、糖尿病、皮膚病に効果があります。
至る所から高温の温泉と噴気が激しく噴出し、強い硫黄臭が漂う雲仙地獄は、雲仙温泉ならではの風景です。
長崎の刺身はどれも獲れたてが多いから、脂がのった旨さだけでなく、新鮮な魚が持つ食感までを楽しめます。長崎の魚のうまいお店の情報はこちら
雑魚屋 長崎思案橋店
個室中心のスタイリッシュな空間でとれたての地魚を味わえるお店。
店内にはいけすがあり、五島灘を中心に広がる長崎の海から運ばれた魚が泳いでいます。
新鮮な長崎アジや活イカはもちろん、カタクチイワシ、ベラといった魚も刺身でいただけます。
創作料理は、活魚の姿づくりをはじめ、アジのなめろう、雑魚屋風たこ焼き、サザエの香草バター焼きなどこだわりの品々がそろっています。
雑魚屋のホームページはこちら
大浦天主堂は1864年にフランス人・プチジャン神父によって建立された日本最古の教会堂で、国宝に指定されています。
長崎居留地の中に在留外国人のために建設した教会堂ですが、ここで隠れキリシタンが発見されたことは、「信徒発見」として語り継がれています。
江戸時代、250年もの長い間代々キリストへの信仰を守り続けてきた隠れキリシタンと呼ばれる信者達が、教会ができたことでプチジャン神父に信者だと告白したことは、信仰の奇跡と呼べるかもしれません。
江戸幕府の倒幕に燃える幕末の志士たちは、当時唯一異国との貿易があった長崎で、鉄砲などの武器を調達します。
その武器類を提供して財を成したのが、遠くスコットランドから渡来したトーマス・ブレーク・グラバーです。
グラバーは1863年に長崎の南山手の丘に住まいを建設。
グラバーをはじめとするオランダの商人たちは、長崎に多くの洋館を残しました。
グラバー園は、こうした洋館(旧グラバー住宅・旧リンガー住宅・旧オルト住宅など)を丘の上に移築復元したものです。
グラバー園からは、長崎港を行きかう船や対岸の三菱重工の巨大なドックが一望できます。
丘の上にありますが、園内の動く歩道などを使えばどなたでも観光できます。
世界遺産の「端島(はしま)」は、長崎港から南西に約19㎞の沖合いに位置する島で、その姿から通称「軍艦島」と呼ばれています。
軍艦島は、明治から昭和にかけて海底炭鉱によって栄え、大正5年には日本初の鉄筋コンクリート造高層集合住宅が建築され、最盛期には5,000人もの人が住んでいました。
1974年、国のエネルギー政策の転換から炭鉱は閉山。今は廃墟となった高層鉄筋コンクリートが立ち並ぶ島は、「明治日本の産業革命遺産」の 構成資産の一つとして、保護されています。
長崎港から各社の軍艦島上陸ツアーが運航されています(所要時間:約2時間半)。
軍艦島上陸ツアーの詳しい情報はこちら